• 池田卓夫 Takuo Ikeda

キーシン50歳!ますます独自の道歩む


ヘンレが出版した作曲家キーシンの作品1

「エフゲニー・キーシン ピアノ・リサイタル」2021年日本ツアー最終日を11月17日、サントリーホールで聴いた。1971年10月10日生まれ、15歳で初めて日本を訪れ「日本から世界市場に進出したピアニスト第1号」(中村紘子)と騒がれ、今年で50歳になった。6歳で出会った生涯唯一の師、アンナ・パヴロヴナ・カントールが今年7月に98歳で世を去り、

今回の公演プログラムには「この日本公演をアンナ・パヴロヴナ・カントールに捧げます」というキーシンのコメントが添えられた。


昨年1月末、ミュンヘン近郊にある楽譜出版社、G・ヘンレを訪ねた際、ヴォルフ=ディーター・ザイフェルト社長が「最近はこの作曲家に力を入れています」といい、キーシンの「4つの小品」作品1のスコアをプレゼントして下さった。リサイタル翌日の18日には同じサントリーのブルーローズ(小ホール)で、日本の若手演奏家による「作曲家キーシン〜その肖像」も本人立ち会いで開かれた。カントールただ1人が施した基礎教育、キャリア形成、社会に対しての音楽メッセージの発信手法のすべてにおいて、キーシンはレイフ・オヴェ・アンスネスや横山幸雄ら同世代のピアニストの誰とも違う孤高の道を歩んでいるーー3年ぶりに聴いたリサイタルで、改めてそう思った。


先ずは当ホームページから、3年前のリサイタルのレビューを再掲する:

https://www.iketakuhonpo.com/post/4%E5%B9%B4%E3%81%B6%E3%82%8A%E3%81%AE%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%B3-%E5%BC%B7%E3%81%84%E5%85%B1%E6%84%9F%E3%82%92%E7%A4%BA%E3%81%97%E3%81%9F%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%8E%E3%83%95%E3%81%AE%E5%89%8D%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E9%9B%86


今回のプログラムは:

J ・S・バッハ(タウジヒ編曲)「トッカータとフーガ」ニ短調BWV.565

モーツァルト「アダージョ」ロ短調K.540

ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第31番」変イ長調作品110

(休憩)

ショパン「7つの《マズルカ》(第5、14、15、18、19、24、25番)」「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」作品22

(アンコール=サントリーホールのホームページから)

J・S・バッハ(ブゾーニ編曲)「コラール前奏曲《いざ来たれ、異教徒の救い主よ》」BWV.659 

モーツァルト「ロンド」ニ短調K.485

ショパン「《12の練習曲》作品25の第10番」「《ワルツ》作品70の第2番」


「ロシアのヴィルトゥオーゾ(名手)」的な作品は本編両端の「トッカータとフーガ」、「アンダンテ・スピアナート…」くらい、モーツァルトからマズルカにかけては、ひたすら内面世界に沈潜する作品を並べた。アンコールのショパンのエチュード(練習曲)も含め、ホールを轟かせる最強音の打鍵では音色の混濁を厭わず、右手の技巧的で急速な箇所では意外な綻びをみせたが、メカニックがピークを過ぎたとは全く思えない。表現の志向が大きく変貌を遂げつつあるのではないか、と受け止めた。何かの激しい感情に突き動かされ、予定調和以上の世界を描こうとする。別の書き方をすれば、作曲家の内面の衝動と自身の密着度を一段と高め、古典でも産みの苦しみ、創造の葛藤を生々しく再現しようとの意識の現れではないかと思った。作曲家としての展開が、ピアノ演奏に好ましい還流を促している。


過渡期を迎えたキーシンの今に接し、私は静かで深い作品、2つのモーツァルトとショパンの「マズルカ」、アンコールのバッハ〜ブゾーニの「コラール」に、とりわけ大きな感銘を受けた。まだまだ、大きく変わりそうな予感。



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