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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

キット・アームストロング「中毒」の私


ロサンゼルス生まれの28歳、キット・アームストロングのピアノ・リサイタルを日本で聴くのは2019年2月4日の浜離宮朝日ホールで3回目。数学と化学の学位を持ち、作曲も手がける。いつも17世紀英国のウィリアム・バードと18世紀ドイツのJ・S・バッハを基軸に様々な時代、文化圏の楽曲を組み合わせ、終演後に振り返ると、巨大なパズルを完成させたかのような達成感を味わわせてくれる。今回も、そうだった。那須田務さんを聞き手とするプレトークで音楽と数学の関係を問われても、答えは非常に詳細かつ哲学的で、いつしか音楽における啓蒙精神のあり方や、舞台上の演奏者と聴衆との間の「演劇的」コミュニケーションへと展開して終わりを知らない。天才の乱発は慎むべきだが、アームストロングの公演チラシに那須田さんが記した「半世紀に1人の天才」の形容には全く、うそ偽りがない。


前半のクープランからバッハを経てフォーレに至る「沈潜の旅路」(と勝手に名付けた)には鍵盤音楽の歴史、調性に対するテイストの変遷、和声の流動化プロセスを様々な角度から検証し、私たちが今、立っている音楽の地点が「いったい、どこなのか?」を確かめる趣があった。楽器はホール備え付けのハンブルク・スタインウェイなのに、チェンバロの箱鳴りを思わせる独特の音をがしたのは、アームストロング独自の奏法の結果だろう。


後半は「跳躍の旅路」だろうか? シンプルな舞曲と直結したバードの躍動感を高らかに歌い上げた後、リストの「バッハの動機による変奏曲」では、後世の一段と錯綜した変奏曲の作曲技法が名技(ヴィルトゥオージティ)の時代と密接に関係している状況を明らかにしていく。一心不乱にバードのリズムを刻む姿を見ているうち、なぜか涙が出てきた。


アンコールでバッハの「平均律クラヴィーア曲集第1巻第1番」の前奏曲を弾くと、「Gシャープの調弦がおかしい」と言い出し、2曲目のアンコールにはピアノチューナーを同行、整音を終えた上で同じ作曲家の「コラール前奏曲」を弾いた。想像した通り、ピアノの音に関しては、徹底したこだわりがあるようだ。他に類例のない音楽性、一夜限りの創造体験の魅力には抗しがたく、アームストロング「中毒」の症状はどんどん深まりつつある。

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