東京・代々木に本社を置く英会話学校LACOMSが企画運営する「おとなのためのピアノコンクール」、「第8回エリーゼ音楽祭」全国大会の審査員を今年も務めた。予選段階から毎回、飲み会(正式名称はレセプションとか、打ち上げ)がセットされた、ユニークなアマチュアのピアノコンクールである。2018年11月23〜25日、銀座ヤマハホールでの3日間が今年の事実上の本選。審査員は日替わりで、私は24日の審査を小原孝、谷真人、ポーランド出身のミハウ・ソブコヴィアクと珍しく男性ばかりの同僚とともに行った。以下、気になったことを列記してみる;
1)何でもかんでもペダルを踏めば、レガートが達成できると思うのは早計
2)作品に対するイメージを持たず、運指からだけ演奏を発想しても音楽にならない
3)J・S・バッハはもちろんモーツァルトも含めた18世紀音楽の場合、当時の狭い文化圏の中で暗黙了解だった事柄は楽譜に記されていない。特段に注意書きのない場合、フレーズの頭拍(第1音)は必ず強拍であり、最後は明確にアーティキュレートする
4)ショパンは簡単にロマン派と呼ばれるが、19世紀の作曲家の中では最もJ・S・バッハを尊敬・継承し、特に左手には18世紀音楽の通奏低音の痕跡が明白。華麗に旋律を歌わせる右手の傍には必ず、くっきりと構造を支える左手が存在することを常に意識してほしい
5)ドビュッシーは「印象派」と総括されがちだが、実際は人間臭くドラマティックな作曲家。改革者の側面はあったにしても、基本はラモー、クープランら18世紀クラヴサン音楽から延々と続くフランス鍵盤音楽史の延長線上に位置する。ペダルの多用で音が混濁しないよう気をつけ、抑制すべき場面は抑制するよう努める
6)鍵盤上の手と指先の位置。黒鍵に近いゾーンに集中すると、手指の可動範囲が狭まり、音色の多様性が損なわれる。理想的には白鍵の中心部がデフォルトポジションと思われる
7)日本人が参加者なのに、武満徹や湯浅譲二、矢代秋雄らヴェテラン世代から若手まで、日本人作曲家の作品に目を向けた参加者がゼロだったのは残念
レセプション会場での私の講評はアマチュアピアニストに対し、厳し過ぎるコメントだったかもしれない。私の問題提起はコンクール参加者よりも、事態をここまで放置、悪化させてきたピアノの先生たちに向けたものだと思ってほしい。ともあれ午前10時半から午後8時半まで、約80組もの演奏を聴き続けたのは、短くない審査員歴でも滅多にないこと。喜びにあふれた全力投球の連続に時間を忘れ、最後は心地よい疲労感だけが残った。
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