クラシックディスク・今月の3点プラスα(2021年7月)
ファランク「交響曲第1&3番」
ローランス・エキルベイ(Laurence. Equilbey)指揮インスラ(Insula)管弦楽団
自分には未知の作曲家、ルイーズ・ファランク(もしくはファラン=1804ー1875)は19世紀フランスの作曲家・ピアニスト・音楽学者・教育者で1842年、パリ音楽院史上初の女性の教授(ピアノ科)に選ばれた。以後8年間、男性教師と同額の給与を支払うよう訴え続け、1852年にようやく内務省の規定額を勝ち取ったという。亡くなる3年前まで教壇に立った。1849年にパリ音楽院管弦楽団が世界初演した「交響曲第3番」の成功により、存命当時はファニー・メンデルスゾーン、クララ・シューマンらと並ぶ女性作曲家のスターだったが、死後急激に忘れられた。1995年にドイツで本格的な研究が始まり復活しつつある。
パリ西郊オー・ド・セーヌ県のレジデント・オーケストラ、インスラ管弦楽団は2012年、ニコラウス・アーノンクールやエリック・エリクソン、ヨルマ・パヌラらに師事した女性指揮者エキルベイが合唱団のアクサンチュスとともに設立。ラ・セーヌ・ミュジカールを本拠に、古典からロマン派までをピリオド(作曲当時の)楽器で演奏してきた。「Erato」レーベルからは2018年、ニコラ・アンゲリッシュ独奏のベートーヴェン「ピアノ協奏曲第4番&第5番《皇帝》」をリリース、当サイトでも紹介した:
2021年3月4ー6日に本拠でセッション録音したファランクにおいても、エキルベイのキリッと引き締まり、颯爽とした音楽性とインスラの柔らかく明るく繊細な響きの相乗効果は際立っている。何より1841年初演の「第1番」ともども真価を余すところなく伝えようとする意思の強さに引き込まれ、一気に聴き通してしまう。非常に完成度の高い作品にもかかわらず、歴史の谷間に埋もれた原因はおそらく、音楽学者として古楽にも通じ、同時代のロマン派よりはハイドン、モーツァルトの古典派交響曲を1つの理想に、自身の交響曲を作曲した姿勢にあったのではないかと思われる。2世紀近くが経過した今、時代様式の〝ずれ〟は取るに足らない差異であり、ようやく正当に評価される時が訪れた。
(ワーナーミュージック)
ベートーヴェン「ピアノ協奏曲全集(第1ー5番《皇帝》)」
クリスチャン・ツィメルマン(ピアノ)、サイモン・ラトル指揮ロンドン交響楽団
ツィメルマンはレナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィル(第1&2番はバーンスタインの死に伴い、ツィメルマンが弾き振り)以来2度目、ラトルはアルフレッド・ブレンデルとウィーン・フィル、内田光子とベルリン・フィルを経て3度目の全曲録音だ。ラトルはバーミンガム市響時代にもラルス・フォークトとグレン・グールド作曲のカデンツァによる「第1番」を録音していたので、とりわけ「お気に入り」のレパートリーなのだろう。録音セッションは2020年12月、ロンドン響が2003年から所有する音楽センターで1733年竣工の教会を改造した「St.Luke's」(聖ルカ)に少数の聴衆を交え、集中的に行われた。
ツィメルマンとラトルはすでにブラームス「ピアノ協奏曲第1番」、ルトスワフスキ「ピアノ協奏曲」、バーンスタイン「交響曲第2番《不安の時代》」の3点をベルリン・フィルとの共演で「ドイッチェ・グラモフォン(DG)」レーベルからリリースしている。年齢も1歳(ラトルが上)しか違わず、同世代の「気心知れた間柄」「肝胆相照らす仲」として、音楽観のすり合わせもスムーズに運ぶのだろう。ピアニストは巨匠バーンスタインに立ち向かう若手、あるいは弾き振りの完璧主義者の緊張をとっくに卒業、指揮者もウィーンやベルリンの名門オーケストラがガンとして譲らない古典のデフォルトから解放され、ベートーヴェンを〝お題〟に自由自在な音の会話を繰り広げる。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に振り回される世界の憂さを離れ、音楽に没頭できる幸福感が前面に出るのか、初期2曲はもちろん、構えの大きな第3ー5番にも権威主義的な重さがまるでなく、伸び伸びと明るく、若々しいベートーヴェン像が自然に浮かび上がってくる。ロンドン響も柔軟だ。
(ユニバーサル ミュージック)
モーツァルト「ヴァイオリン協奏曲第3番&第5番《トルコ風》」
三浦文彰(ヴァイオリン&指揮)、オーケストラ・アンサンブル金沢(コンサートマスター=水谷晃)
2019年9月9&10日にオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の本拠、石川県立音楽堂コンサートホールでセッション録音。三浦が指揮を兼ねた協奏曲のリリースは初めてだ。
2021年6月9日にはサントリーホールで特別編成のARKシンフォニエッタと「ヴァイオリン協奏曲」を弾き振り、辻井伸行独奏の「ピアノ協奏曲第5番《皇帝》」を伴奏指揮する実演に接し、指揮者としてのポテンシャル(潜在能力)に驚き、こう記した:「三浦は余拍(アウフタクト)をたっぷりとって、ヴァイオリニストらしく弦5部それぞれに明確な表情の出を与え、管や打楽器とのコミュニケーションも疎かにしない。28歳でこれだけのリードが出来るのなら、指揮者としては相当に有望だ」
長くウィーンに学び、モーツァルトやベートーヴェンを身近な音楽として奏でられる強みはモーツァルトでも遺憾なく発揮され、引き締まった美音でニュアンス豊かなソロを奏でる。OEKも東京交響楽団コンサートマスターの水谷のリードで積極的にからみ、三浦の指揮の意図を適確に反映していく。とり立ててピリオド楽器を意識しなくても、ごく自然に洗練された様式感を発揮できるのが、三浦や水谷の世代の強みというか進化である。
(avexクラシックス)
今月のプラスαは、個人的にも面識がある日本人ピアニスト3人の新譜
スクリャービン「《プロメテウス、火の詩》作品60」(7台ピアノ版)「2つの詩曲作品63&69」「ポエム・ノクターン作品61」
岡城千歳(ピアノ&編曲)
「プロメテウスの苦悩、スクリャービンの涙の思いを管弦楽より正確に再現したい」との一念で2017ー2019年を費やし、最大7台のピアノの音を重ねながら製作した話題盤。激しい情念の音楽だ。音質も素晴らしい。岡城自身による楽譜入りの詳細な解説の後に少しだけ、私も補足を書いた。
(米シャトー、輸入元=東京エムプラス)
ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第21番《ワルトシュタイン》、8番《悲愴》、23番《熱情》」
外山啓介(ピアノ)
2020年2月27&28日、6月24&25日の2回に分け、東京の稲城市立iプラザでセッション録音。デビュー14年で8作目のディスク。一貫してスターピアニストの道を歩みつつ、実際には「このままでいいのか」と悩み続け、ようやく自分の位置を定めた安堵感のような落ち着きが前面に出たアルバムだ。重くも軽くもなくリズムを際立たせたスタイリッシュな音楽が、青年ベートーヴェンの覇気を再現する。
(avexクラシックス)
「ユヌ・ジュルネ」
齊藤一也(ピアノ)
1990年にサッカーの中田英寿と同じ山梨県韮崎市で生まれたピアニスト、齊藤一也のデビュー盤。タイトルはフランス語で「1日」を意味、「朝から夜まで丸1日、ゆっくりリサイタルをしている」感じを表す。たまたま16歳の齊藤を審査する機会を授かって以来ゆっくりと見守り、ライナーノートの1部を書いた。J・S・バッハ、シューベルト、シューマン、ラヴェル、リスト、ラフマニノフ、ドビュッシー、佐藤眞に恩師の青木進を網羅し、自作のボーナストラック「ショパンの《子犬のワルツ》による即興曲ーネコ好きのためのー」で終わる素敵なアルバムは、30代に入り、日本での演奏活動を本格化した齊藤の〝履歴書〟でもある。2020年9月19&20日、山梨県北杜市の八ヶ岳やまびこホールでセッション録音。
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