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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

ウクライナ有事の夜、テノール小堀勇介が朗読した「死んだ男の遺した手紙」

更新日:2022年2月28日


前触れ記事は東京版「讀賣新聞」夕刊にも載った

「時代を超えたメッセージ」〜小堀勇介テノールリサイタル(2022年2月25日、福岡市あいれふホール)

テノール&朗読※=小堀勇介、ピアノ=久保山菜摘

第1部:

中田章「早春賦」、滝廉太郎編「さくらさくら」、中田喜直「さくら横丁」

「海軍(うみ)からの手紙」〜戦艦大和の隊員から家族への手紙集より〜(使用楽曲=久保山菜摘「復活」「別れ・祈り」、武満徹「死んだ男の残したものは」他)※

第2部:

ショパン「スケルツォ第2番」(ピアノ・ソロ)

ドニゼッティ「船乗り」、ベッリーニ「行け、幸運のバラよ」、ロッシーニ「踊り」

ロッシーニ「歌劇《アルジェのイタリア女》〜《愛しの人に恋焦がれ》」

ドニゼッティ「歌劇《連隊の娘》〜《ああ友よ、今日は素晴らしい日》」

ヴェルディ「歌劇《リゴレット》〜《風の中の羽根のように(女心の歌)》」

(アンコールにシューマン、アーン、ララ)


最初はアマチュアピアニストのコンクール「エリーゼ音楽祭」でお世話になっているピアノ教師で企画会社ララクルジャパンを営む久保山千可子さん、私がプロデュースした「福島3大テノール」の1人でベルカント部門を担う小堀勇介さんの知人2人が組み、うちの奥様の勤務地の福岡でリサイタルを開くというので、「行きます!」と軽い気持ちで声をかけた。内容が明らかになるにつれ「特別な機会に引き寄せられた」の思いを強めていた2月22日、「讀賣新聞」全国版夕刊に「大和乗務員の素顔 朗読」の見出しの大きな記事が載った。


太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)4月に鹿児島沖で撃沈した戦艦「大和」とともに26歳の生涯を終えた日本海軍の軍人、東京・江戸川区出身の宇田川秋三郎さんは従軍の折々に家族へ手紙を送り、40通以上が現存する。故人の甥の妻、宇田川好子さんは2015年に手紙を広島県呉市の大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)に寄贈、東京大学文書館の秋山淳子さんが「達筆すぎる毛筆」の解読に当たった。あるコンサートで久保山千可子さん、好子さんが出会い、秋山さんが小堀さん〝推し〟の大ファンという縁で、今回の企画がまとまった。福岡に先立つ日田(大分県)公演の当日、2月24日にロシアのプーチン大統領がウクライナ侵攻に踏み切り、戦争が今も国際社会の現実だと思い知ったタイミングでの本番。演奏家自身や関係者はもとより、聴衆1人1人に秋三郎さんの手紙は切実に響いた。


志願して海軍軍人となっただけに当時の価値観は反映しつつも消えゆく青春を惜しみ、結婚や家庭に憧れる20代の青年の本音も見え隠れする文面。とりたてての遺書やエッセーではない分、戦争に翻弄された一般人の姿が等身大で浮かび上がる。小堀はマイクを使わず、ベルカント唱法で鍛えた純度高い発声を介し、秋三郎の思いを会場の隅々に届けた。そこにはオペラ歌手の「わざとらしい台詞朗読」の痕跡がなく、演劇の尺度に照らしても巧みと思われる朗読能力に感心した。武満徹が谷川俊太郎の詩に作曲した「死んだ男の残したものは」はヴェトナム戦争への反戦歌だったが、今夜は第二次世界大戦からプーチンのウクライナ侵攻に至るまで、あらゆる戦闘の無意味を告発する警句として、いつも以上に切実に響いた。


軽く(レッジェーロで)艶のある美声の俊敏性を最大限発揮する小堀はイタリア語だけでなく、日本語も明晰。良く通る声なので、久保山菜摘が蓋を全開にしたスタインウェイでダイナミックに奏でても決してマスクされない。今が旬のテノーレ・リリコ・レッジェーロの魅力をふんだんに味わっただけでも、東京から来た甲斐があった。終わりよければすべてよし、と言いたいところ唯一、アンコール最初に歌ったシューマンのリート(ドイツ語歌曲)「献呈」のドイツ語は改善の余地ありとみた。イタリアオペラが主力の歌手だからイタリア語は明瞭だし、フランス語、日本語も問題ない。だがドイツ語はFach(ファッハ=専門)でないからか、片仮名のトランスファー度合が高く、言葉が(レガートに)流れてしまう。絶対に聴こえなければいけない単語、聴こえた方がいい単語、聴こえても聴こえなくてもいい単語、聴こえない方がいい単語を厳密に仕分け、聴こえる音の数を減らして強弱を付けない限り、イタリア語並みの明瞭度は得られない。すでに「第九」(ベートーヴェン「交響曲第9番」)ソロで引っ張りだこの小堀なら、短時間で改善する課題だと大いに期待したい。

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