はっきり言って、ここ数週間聴いたNHK交響楽団や東京都交響楽団ほど機能的に洗練されたオーケストラではない。弦楽器も高価なものではない。高齢の楽員には演奏中の私語もあり、モラル(士気)が高いというわけでもない。「ない」「ない」尽くしのはずなのに、かなり感動的演奏だったのは、何故か? 2019年1月17日、東京文化会館大ホールの都民劇場例会。ピエタリ・インキネン指揮プラハ交響楽団を聴きながら、自問自答を繰り返した。
前半に樫本大進独奏のブラームス「ヴァイオリン協奏曲」、後半にドヴォルザークの「交響曲第9番《新世界より》」というシンプルな曲目。インキネン(1980年生まれ)と樫本(1979年生まれ)はヴァイオリニストとして名教師ザハル・ブロンの門下生どうしで、10代から面識がある。2009年9月、インキネンが日本フィルハーモニー交響楽団の首席客演指揮者(現在は首席指揮者)に就いた記念の定期演奏会では樫本がシベリウスの協奏曲のソリストで友情出演、たまたまベルリン・フィルハーモニー管弦楽団コンサートマスター内定のタイミングと重なり、2日間とも完売した。今回も協奏曲のアンコールでインキネンがコンサートマスターの楽器を借り、樫本とバルトークの「2つのヴァイオリンのための44のデュオ」の第14番を共演、指揮者として多忙の日々にも全く衰えない弦の腕前を披露した。
樫本のブラームスの協奏曲では、過去にチョン・ミョンフン(鄭明勲)指揮シュターツカペレ・ドレスデンとの名盤(ソニー)も存在するが、当夜の演奏は一段と深みを増し、純度の高さでも際立っていた。ベルリンのコンサートマスターとして4曲の交響曲をはじめ、ブラームスのオーケストラ作品を数多く演奏してきた体験を背景に、「音楽の下に自分を置く」姿勢に徹し、ひたすら作品の内面に沈潜する。中でも、ちょっと癖のある女性オーボエ奏者と味わい深い音楽の対話を奏でた第2楽章の美しさには聴き惚れた。インキネン率いる管弦楽も地味ながら、樫本と美意識を共有していた。古典主義者ブラームスの音楽に潜むバロック時代の合奏協奏曲のエコーを巧みにとらえ、樫本との「大きな室内楽」を堪能させた。樫本は今年40歳になるが、最初に取材した時は13歳。本当に素晴らしい音楽家に成長した。
「新世界」交響曲は「お国もの」のルーティンワークと思いきや、丁寧な棒さばきにオーケストラが懸命にこたえ、鮮度満点の演奏に仕上がった。特に「家路」の旋律でおなじみの第2楽章の弦の繊細で透明な響き、第3楽章の第2主題で指揮者うんぬんとは関係なしに刻まれるチェコ舞曲のリズムなどに、このオーケストラが歴史とともに育んできたドヴォルザーク解釈の文化遺産的側面を痛感した。当たり前のことを当たり前とだけ思わず、さらに前へと進めようと懸命に努力したとき、思いは客席にしかと伝わるのだろう。聴衆の熱気にこたえ、同じ作曲家の「スラヴ舞曲」から作品72の2、46の8がアンコールとして演奏された。
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