• 池田卓夫 Takuo Ikeda

アンドレアの「祝典」気分に満ちた選曲

最終更新: 2019年4月17日


時差ボケで目が泳いでいる音楽ジャーナリストとの記念撮影

日本のオーケストラについて「正確に弾くだけで個性、ダイナミズムに欠ける」と批判する時代は完全に過去のものとなった。2019年4月16日、午後3時に羽田の東京国際空港に着いて完結した14泊16日の日本フィルハーモニー交響楽団第6回欧州ツアーの4時間後の東京オペラシティコンサートホール。東京フィルハーモニー交響楽団定期演奏会をイタリア人首席指揮者アンドレア・バッティストーニの指揮で聴いた。後半メインの交響曲は日本フィルがフィンランド人首席指揮者ピエタリ・インキネン指揮で先週、ヴィルヘルムスハーフェン(4月5日)、ヴォルフスブルク(6日)、レーゲンスブルク(7日)の3か所で演奏したのと全く同じチャイコフスキーの「交響曲第4番」だったが、まるで違う曲に聴こえた。


東京フィル定期はアンドレアが新シーズン開幕と改元、天皇即位を意識して考えたユニークなプログラム。ウォルトンの「戴冠行進曲《王冠》」とモーツァルト「ピアノ協奏曲第26番《戴冠式》」(独奏=小山実稚恵)が前半。後半にチャイコフスキー「第4」の後、エルガー「威風堂々」第1番の短縮版を演奏することまでは事前に決まっていた。だが16日の初日はフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」で始まった。前日のパリ・ノートルダム寺院の火災損傷はフランス人、ヨーロッパ人にとどまらず、ここを一度でも訪れたことのある世界の人々に大きな衝撃を与えた。「過酷な運命からの次の1歩」を下敷きにしたプログラミングの冒頭に、「ラ・マルセイエーズ」を奏でても違和感がないと指揮者が判断を下したのは演奏会当日。力強い東京フィルの演奏は、フランス国民へのエールとして立派に響いた。


小山実稚恵がモーツァルトのソナタではなく、協奏曲を弾く機会は稀だ。頭拍の強調や短めのアーティキュレーションといった18世紀音楽の様式に特化した弾き方を意識せず、チャイコフスキーやショパンの協奏曲を弾く場合と同じく、自身のキラキラと歯切れのいい打鍵を生かした再現に徹したのはある意味、賢明だった。20番台のピアノ協奏曲の中で唯一の副題を持ちながら、キャラクターや編成の特殊性で一段階低い評価を受けがちな作品の解釈として「これもあり」と納得させる水準をキープした点で、練達の仕事ぶりと思えた。妙にロマンティックで「おや?」と思わせた第1楽章のカデンツァは、ライネッケの作曲。管弦楽は特にピリオド(時代楽器)を意識したものではなかったが、ダウンボウ(下げ弓)でしばしば現れるテヌート(音符の長さを十分に示す再現)による楽想の強調をはじめ、オペラ作曲家だったモーツァルトの旋律の味わいを最大限に引き出す工夫を随所に凝らしていた。


チャイコフスキーの「第4」。きりりと引き締まった抒情美のインキネンと日本フィルが「北極」なら、カンタービレ(旋律美)大爆発のバッティストーニと東京フィルは「南極」か? 第1楽章ではフォルテの部分を目にも止まらない速度で走らせながら、旋律の交代はダウンボウのテヌートで示唆する入念さをみせ、メゾフォルテからピアノ、ピアニッシモにかけてはたっぷり歌わせ、管楽器のソロを際立たせる。第2楽章から第3楽章は同時期に並行して作曲されたオペラ「エフゲニー・オネーギン」や傑作バレエ音楽に共通する劇音楽の要素を掘り下げ、第4楽章では爆発とカンタービレ双方の対照を描き尽くす設計は周到だ。リハーサル以上の加減速にオーケストラが破綻寸前の場面もないわけではなかったが、ここまで独自の解釈を押し通せるのも、首席指揮者としての共同作業の積み重ねの反映だろう。中ではイタリア人の首席クラリネット奏者、アレッサンドロ・ベヴェラリのソロが光った。


アンコールの「威風堂々」を振る直前、アンドレアは客席に英語で語りかけた。「新しいシーズンにようこそ! そして、レイワ(令和)のご多幸(グッドラック)を祈ります」

 


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