新型コロナウイルス対策で2020年2月26日、安倍首相が大規模イベントを唐突に自粛要請して以後、おおむね①とりあえず中止か延期が当初数日間、②無観客開催および、その同時配信が2週目、③kajimotoが医師有志の意見を聞いてアンドラーシュ・シフ・ピアノ・リサイタルの自社主催公演の開催を決め、丁寧な注意書きを拡散するなど、事業継続に向けた様々の新しい動きが出てきたのが3週目…といった展開をみせてきた。演奏家やスタッフ、ライターなど周辺業務従事者の大半が個人事業主を登録する以前のカテゴリー、完全なフリーランスのクラシック音楽セクターでは、政府が慌てて打ち出した10万円融資枠の根拠を提出できる人も限られているから座して死を待つわけにもいかず、知恵を絞るしかない。
3月7&8日の週末、びわ湖ホールでは4年がかりで進めてきたワーグナー「ニーベルングの指環(リング)」4部作の最終公演「第3夜《神々の黄昏》」の上演が予定されていた。最初は「公演中止」を決めたが、やがて「無観客上演」、最終的に「YouTubeでのストリーミング」と、山中隆館長をはじめとした劇場スタッフ懸命の努力により、長期のリハーサルで音楽を究めてきたアーティストたちの精進が水泡に帰す悲劇を避けることができた。
1998年オープン時の初代芸術監督、若杉弘は1指揮者の枠を超えた名プロデューサーであり、人口141万人の滋賀県の県立芸術劇場(正式名称)で歌劇場スタイルの大ホール(1,848席)を埋めるには「西日本全域だけでなく首都圏からも集客する必要がある」との認識から、自主制作のオペラ上演を原則土日の午後2時開演として、日帰り可能圏を広域に設定した。当然、歌手はダブルだが段差をつけず「どちらも初日キャスト」級の人材を内外から集めた。第2代音楽監督(2007〜)の沼尻竜典はオープン時点から若杉を補佐、週末昼公演の路線も踏襲している。若杉は後に新国立劇場オペラ芸術監督(2007−2009)を務めた際も「日本で上演されるオペラ作品には今でもかなり、偏りがある」として近現代の作品を積極的に紹介したが、びわ湖でもヴェルディ初期オペラ・シリーズの大きな成果を残した。実際、1987年のベルリン・ドイツ・オペラ日本公演で実現した「リング」4作の通し上演日本初演(ゲッツ・フリードリヒ演出)も首都圏(神奈川県民ホール)の出来事であり、関西圏の観客は2017年に沼尻がびわ湖で手がけるまで、30年も待たされていた。
「びわ湖リング」のヴィジュアルチームに沼尻が招いたのは、ドイツの長老演出家ミヒャエル・ハンペ(1935ー)と画家ヘニング・フォン・フォン・ギールケ(1947ー)のコンビ。フォン・ギールケは2000ー2003年、飯守泰次郎指揮東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の「リング」セミステージ上演(オーケストラル・オペラ=高島勲演出)の美術を担当しているが、フルスケールの舞台上演を手がけるのは初めて。ハンペに至っては80歳を超え、ようやく生涯初の「リング」4部作演出に挑むこととなった。
事前取材や2017年の「序夜《ラインの黄金》」鑑賞を通じて明らかとなったのは沼尻とハンペ、フォン・ギールケのチームが「リング初体験」の地元観客層を踏まえてムジークテアーター(音楽劇場)の最先端に敢えて背を向け、「ワーグナーのト書き通り」の視覚をコンピューター・グラフィックス(CG)、プロジェクション・マッピングなど最新テクノロジーのヴァーチャル・リアリティ(VR)により、かつてないほどの精度で具現化することに主眼を置いた潔さだった。ハンペもドイツや東京なら、ここまでポジティヴに〝ベタ〟を貫く勇気はなかったはずだ。YouTubeの画像では判然としないものの、実際に客席で観るとかなりの立体感(3D)があり、自分も物語の内側に引き込まれるような錯覚を体験する。ディープなワーグナー・ファンも「なるほど」と思うだろうし、映画「ロード・オブ・ザ・リング」から〝間違って〟横滑りしてきた若い層にも十分楽しめるヴィジュアルである。
「教科書」的といえるハンペ&フォン・ギールケの共同作業だが、美意識の根底にドイツの歴史をしっかりと踏まえている。ときどき「宇宙戦艦ヤマト」や東山魁夷の日本画に接近する〝お遊び〟の瞬間はあるにしても、「絵」の基本ははっきりと、カスパル・ダヴィット・フリードリヒ(1774ー1840)が代表するドイツ・ロマン主義絵画の世界に置く。「神々の黄昏」に登場するライン川畔、ギビフング族(グンター、グートルーネとハーゲン)の館はドイツ第三帝国時代のヒトラー〝お抱え〟だったアルベルト・シュペーア(1905ー1981)の建築様式を彷彿とさせるなど、意味深長な「読みどころ」もふんだんに仕掛けてある。
もともと様式美を重視、台本と楽譜を深く読み込み「すでに音楽に示されている歩行距離や人物の関係性」を正確に再現するのがハンペである。今回は極端なまでに、歌手の動きを切り詰めた。ワーグナーが書き下ろした台本には、それぞれの登場人物が己の身の上、置かれた状況を切々(くどくど?)と語り続ける傾向があり、ドイツ伝統の朗読芸術(Lesung)への接近も感知できる。ハンペは巨大な「3D動画紙芝居」の空間に人物を浮き上がらせ、客席に向かって語りかける手法に徹し、余計な動きを意図的に排除した。全体の空間と立ち位置の関係、歌手たちの繰り出す音楽とドイツ語だけで、ドラマは十分に伝わったと思う。
管弦楽は京都市交響楽団。ふだんオペラを専門に演奏する団体ではないが、ドイツの歌劇場での指揮経験も豊富な沼尻の統率の下、「年に1度の大仕事」を高い水準で見事に完走した。欧米のオペラハウスの「リング」上演で2日連続、全曲を(金管の交代要員なしに)演奏するオーケストラは滅多にない。不慣れかつ長大な難曲に挑み、特に2日目は日本人のワーグナー演奏史に残るようなサウンドを現出させた力は称賛に値する。沼尻の指揮は重厚な神話世界よりも、現実の人間模様を活写するドライなリアリズムを基本としながら、ドラマの進行とともに自然な熱を帯びていく。特に2日目、「ブリュンヒルデの自己犠牲」から幕切れにかけての形而上(メタフィジカル)の響きというか陶酔に、最高の時間が刻まれた。
キャストも無観客上演という特殊な状況にもかかわらず、渾身の歌唱と演技で高い燃焼度をみせた。ジークフリート(7日=クリスティアン・フランツ、8日=エリン・ケイヴス)、ブリュンヒルデ(7日=ステファニー・ミュター、8日=池田香織)、グンター(7日=石野繁生、8日=髙田智宏)、ハーゲン(7日=妻屋秀和、8日=斉木健詞)、グートルーネ(7日=安藤赴美子、8日=森谷真里)、ワルトラウテ(7日=谷口睦美、8日=中島郁子)は皆そろっていて、日本人と外国人の差も感じない。アルベリヒ(7日=志村文彦、8日=大山大輔)、ヴォークリンデ(7日=吉川日奈子、8日=砂川涼子)、ヴェルグンデ(7日=杉山由紀、8日=向野由美子)、フロスヒルデ(7日=小林紗季子、8日=松浦麗)、第1のノルン(7日=竹本節子、8日=八木寿子)、第2のノルン(7日=金子美香、8日=斎藤純子)、第3のノルン(7日=高橋絵里、8日=田崎尚美)と、脇も国内上演の主役級ぞろい。
とりわけ池田のブリュンヒルデ、石野と髙田のグンター、妻屋のハーゲン、安藤のグートルーネ、中島のワルトラウテに強い印象を受けた。ブリュンヒルデではパワフルな従来型ミュターよりも、「女性の哀しみ」を常に漂わせながら最後は神へと帰依する感情変化を克明に描いた池田に対し、より新鮮で芸術的な感動を覚えた。斉木や安藤ら駆け出しのころイタリアオペラ志向の強かった歌手が次第にワーグナーの歌い方を究め、今やすっかり「サマになった」姿を見せてくれたのも、個人的には嬉しい。三澤洋史が統率した合唱=びわ湖ホール声楽アンサンブルと新国立劇場合唱団の合同チームも人海戦術ではないのに、たっぷりのヴォリューム、明瞭なディクション、マスと個々それぞれの演技力で「さすが」と思わせた。
ロングの正面画像のみで字幕なし、いかにも「急ごしらえ」のストリーミングではあったが「芸術は水道の蛇口ではない。いちど閉めたら再度、水が流れる保障はどこにもない」といい、無観客上演を強力に推進した沼尻らアーティスト、スタッフの熱意は確かに伝わった。オーケストラ楽員まで舞台に上げた「無言のカーテンコール」にこめた思いも、しかと受け止めた。両日ともアクセスは常時1万を超え、延べだと36万人が「神々の黄昏」を週末の昼下がりの各6時間、観ていた結果となった。日本オペラ史上画期的な成果を、期せずして残した。手応えを最大限に生かし、次へとつなげるには、どうしたら良いのか? 仕事が暇なうちにクラシック音楽従事者一同、真剣に考えなければいけないなと、気を引き締めた。
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