• 池田卓夫 Takuo Ikeda

すべてがファイン!日生劇場「セビリアの理髪師」6年ぶり再演、笑いに満ちる


2020年2月頃から足かけ3年のコロナ禍対策シフト、世界で規制が緩和されても日本特有の同調圧力でマスクを外して歩く人は少ない。1か月前に訪れたニューヨークは、路上で着けるも外すも個人の自由だが、地下鉄やバスなど公共交通機関の車内の着用は継続、劇場やホールは予防接種証明書(ワクチン・パスポート)と顔写真入りIDカードを提示しないと入れず、上演中のマスク着用を義務付けるなど、メリハリをつけていた。メトロポリタン歌劇場もマスク着用だが、ロビーの会話、舞台に向けた「ブラヴォー」などへの制限は全くなかった。日本でも「コロナ初年度」の2020年、音楽業界挙げての飛沫測定を数度にわたり、長野県茅野市の新日本空調クリーンルームで行った時点ですでに、不織布マスクを適切に装着した場合、「ブラヴォー」の感染リスクは極小であることが確認されているにもかかわらず、「お断りします」「ご遠慮ください」のアナウンスが続く。形骸化した同調圧力の最たるものは会食の場面。飲み食いの間はマスクを外し、酒量の増加とともに飛沫飛ばしまくりの大声となるのに退店時、おもむろにマスクを装着する。劇場によってはヒステリックなまでに係員がプラカードを掲げて観客の会話をコントロール、それでも話し続ける人に高圧的な態度で注意するケースも依然散見される。お客様は〝飼い慣らされた〟わけではなく、ただただ疲れ、うんざりしているのだ。


日生劇場が2022年6月11&12日(一般公演)、6年ぶりに再演した粟國淳演出のロッシーニ「セビリアの理髪師」も開演前や休憩中、様々な自粛お願いのアナウンスやプラカードに彩られたにもかかわらず、オペラ・ブッファ(喜歌劇)の本質を踏まえた演出、指揮、演唱のすべてが高い水準でかみ合い、久しぶりにストレートな笑いが劇場を満たした。私たちはただただ規制だらけの生活に倦み、何の憂いもなく笑える時間と空間に飢えている。粟國は合唱の配置などのソーシャルディスタンシング(社会的距離の設定)への消極的対応にとどまらず、ロジーナらのテーブルに消毒液のボトルを置いたり、握手をしかけた人々が慌てて肘の付き合いにとどめたり…と、コロナ禍の日常を風刺する瞬間を加え、鮮度を高めた。もともと時代も場所もよくわからない人々(回り舞台を動かすのが人力だから、少なくとも現代ではない)が「セビリアの理髪師」を演じる劇中劇として演出したので再演のたび「時事ネタ」を挿入できるのは、粟國演出の利点。座席数1,330と小ぶりの日生劇場のコージー(居心地のいい)空間では、舞台と客席の一体感を高める効果も発揮する。背景の扉が開き、青空がパーッと広がると、イタリアの空を思わせる鮮やかな青、柔らかい光が広がるのは、ローマ育ちの演出家のもはやトレードマークといえ、今回も「美しい」と感心した。


東京交響楽団を指揮する沼尻竜典は慌てず騒がず、ロッシーニのスコアを細部まで精確に再現しながら、それぞれの歌手のキャラクターや当日コンディションも見極め当意即妙に進めていく。「NISSAY OPERA/ニッセイ名作シリーズ」では近年、新進指揮者の起用も目立ち、それはそれで意義があることだと理解するが、沼尻のようにオペラ経験豊富なマエストロが名作を指揮、気を衒わない粟國の演出と噛み合うと「青少年向けのオペラ普及公演」の趣旨にもかなう。正攻法のアプローチは幕切れで、大きな感動をもたらした。


12日のキャストは素晴らしかった。題名役の理髪師の黒田祐貴は11日にバルトロを歌った黒田博の子息で親子バリトンという新人だが、明るい音色の美声と長身、滑舌のいいイタリア語でフィガロを生き生きと演じた。ロジーナのメゾソプラノ、山下裕賀(ひろか)は2019年「ヘンゼルとグレーテル」、2021年「カプレーティとモンテッキ」と日生劇場で実績を積み、今回も美声とチャーミングな容姿、思い切りのいい演技で喝采を浴びた。この2人に比べれば先輩格に当たるアルマヴィーヴァ伯爵の小堀勇介(テノール)はベルカントテノールの様式感を適確に押さえつつ巧みなコントロールをみせ、大詰めの長大なアリアを見事に決めた。バルトロの久保田真澄、ドン・バジリオの斉木健詞のバス2人も豊かな舞台経験のすべてをブッファの演技につぎ込み「爆笑担当」の期待に最大限、応えていた。ノーカット上演でベルタのアリアもしっかり用意され、ソプラノの守谷由香が巧みに歌った。


合唱のC.ヴィレッジシンガーズ。歌は良いが、歌っていない場面での動きにはもう一工夫あっていいような気がする。藤原歌劇団のベテラン、及川貢が合唱指揮だけでなく公証人の〝ちょい役〟で舞台に現れたのもヨーロッパの古い歌劇場を彷彿とさせ、粟國のセンスを感じる。全体として「日本人には苦手」とされてきた喜劇の再現にいちぶの抜かりもなく、心から楽しめる舞台に仕上がっていたのは何よりだった。Bravissimi !



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