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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

こんにゃく座「あん」、ドリアン助川と寺嶋陸也による初の「ハンセン病」歌劇


原作は「ポプラ文庫」で手に入る

オペラシアターこんにゃく座の創立50周年記念公演第3作「あん」を2022年2月11日、東京・六本木の俳優座劇場で観た。ドリアン助川が自身の小説「あん」(河瀬直美監督が映画化、樹木希林主演で話題を呼んだ)からオペラ台本を起こし、寺嶋陸也が作曲した。伴奏はピアノ、クラリネットで各2人のローテーション。11日は入川舜(ピアノ)、橋爪恵一(クラリネット)が担当した。舞台となるどら焼き店の名「どら春」にちなみ、ダブルキャストはそれぞれ「どら組」「春組」と名付けられ、10日の初演と11日は「どら組」だった。東京郊外、ハンセン病回復者がひっそりと暮らす国立療養所(東村山市の多摩全生園と思われる)近くの冴えないどら焼き店主、千太郎(髙野うるお)の前に「あん作り55年」の老婆、徳江(梅村博美)が「働かせてほしい」と現れ、店をみるみる繁盛させる。ワカナ(高岡由季)ら地元の中学生との交流も深めるなか、徳江がハンセン病を患っていたことが知られ、元店主の「奥さん」(豊島理恵)は徳江の解雇を命じる。千太郎とワカナは療養所を訪ね、手紙を交わす中で徳江の生い立ちも知るが、冬のある日、徳江は世を去る。


助川は執筆を通じて人間の存在理由を考えるうち「宇宙は寂しかったのではないか。自分を見てくれる、聞いてくれる、感じてくれる存在である『いのち』がどうしても必要だったのではないか」と思い至り、「療養所の囲いから出られない身でありながら、小豆や風や月にいつも語りかけていたこの物語の主人公、徳江さんの気づきはここにあります」と公演プログラムに記した。「人はまず、この世を感じるために生まれてきたのではないか。それを知って世の中を見直すことが、人にとっても、この世にとっても祝福に値するのではないか」と問いかけながらオペラ台本を書き、寺嶋が「重い責任を感じつつ」作曲、上村聡史が演出した。意外だが、こんにゃく座にとって「現代の日本人」が登場する初のオペラである。


1時間55分休憩なしの上演は観客を「感性の奥行き」(上村)へと一気に引き込み、あっという間に終わる。徳江が自ら店を去り、今のワカナと同じ年ごろに発病、母が別れに縫ってくれた白いブラウスまで没収焼却された過去を語る場面にかけて涙腺が大決壊、音楽劇の上演中だから鼻をかむこともできず、マスクの内側が涙と鼻水でドロドロ(汚くてすみません)になりながら、食い入るように舞台を見つめた。コロナ禍を通じて世界の分断が進む状況にあって、「あん」の問いかけはさらに重みを増す。徳江が小豆と〝対話〟する様は放送中のNHKの連続テレビ小説(朝ドラ)「カムカムエヴリバディ」の主人公1、和菓子屋の娘の安子が「おいしゅうなれ」とあんに語りかける姿とも重なり、「もの」にも神が宿るととらえ、誠実に向き合っていた時代の日本人の美徳を思い出させる。


髙野、梅村、高岡が役になりきり、中学生たちと合唱を兼ねる美咲(西田玲子)、あかり(小林ゆず子)、どんぐり(金村慎太郎)、療養所で徳江とともに菓子作りをしていた老女の森山(相原智枝)、奥さんの豊島が隙のないアンサンブルをつくる。寺嶋のスコアは古謡唱歌もさりげなく引用、淡々と繊細な旋律を息長く紡ぎ、日本語の歌詞を際立たせる。演劇とオペラの境界領域で独自の音楽語法を確立してきたカンパニーだけに、最初はセリフに音が乗るレチタティーヴォ(叙唱)が続き、次第に合唱、アリア(詠唱)、モノローグ、重唱といったオペラの定型が顔を出す。メロディーラインは切々と抒情的、日本的な衣を纏いつつ、同時代音楽の書き手らしい知の刃、音の煌めきを随所に散りばめ、円熟をはっきり印象づけた。入川と橋爪の演奏も、寺島の意図を深くつかみ、ドラマと一体の音を奏でていた。暗くなりがちな題材に明るい光とテンポの良いリズムを与え、さらっと進める上村の演出も適切だ。


ハンセン病患者と家族に対する差別に対し、日本国政府が非を認め、控訴を断念したのは21世紀に入ってから。多くの人々にとって過去の物語となりつつあるが、隔離された世界で生涯を終えた元患者たち1人1人に人生、命があり、同じ地球の上の時間を共有していた事実は覚えていてほしい。小説、映画に続き、音楽劇で「あん」が語り継がれるようになった意味も、そこにあるのではないかと思った。

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