ディーヴァ。絶頂期のシンガー、氷川きよしの見事なライヴ「きよしこの夜」を2018年12月13日、東京国際フォーラムのホールAで2年ぶりに体験しながら思い浮かべたのは、全く場違い?にも、「歌の女神」を意味するオペラの世界の言葉だった。休憩を入れずに2時間30分、30曲を歌い続けるソロコンサートを昼夜2回で2日間、ホールAは5千人収容なので2万人を動員する。来年のデビュー20周年にはいよいよ、日本武道館で3日間の記念公演を打つことも今日のステージ上からサプライズとして、公式発表された。1年の総仕上げにクリスマス前の時期に行う「きよしこの夜」も、今年で18回目。それ以前に90公演近い全国ツアー、明治座で1ヶ月の座長公演、さらにディナーショウやテレビ・ラジオ番組の出演をこなし、万感の思いの「収穫」を携えて毎年、東京国際フォーラムのステージに立つ。
普通なら声が出なくなりそうなハードスケジュールだが、氷川の声と表情、動きには疲れのかけらもない。前々から思っていたのだが、これほど理想的な発声の歌手はクラシック、ポピュラーその他を合わせ、滅多にいない。音楽大学の声楽科の学生が4年を費やしてもなかなか身につかない、正しいポイントで支え、当て、飛ばす技が勉強の成果ではなく、天与の才として氷川の体には備わっている。いくら歌っても自然で無理がなく、脱力が行き届いているので、声帯疲労が極端に少ないのだと思われる。マイクを通しても、全身が自然に共鳴して遠くまで明瞭に届く発声であることが、はっきりわかる。聴いていて、気持ちがいい。
2年前のステージではあまりの巧さに唖然とするばかりだったが、今回は歌詞の表層の字面を超えて楽曲の根幹に潜むメッセージに迫り、各々の歌の主人公になりきる「変身の術」の改善と、表現者としての著しい進境に深い感銘を受けた。別掲した曲目リストをご覧いただきたい。ポップス調の「冬のペガサス」に始まり、「ゲゲゲの鬼太郎」をはじめとする妖怪ソング、災害被災地への応援をこめたご当地ソング、女唄、男唄、股旅演歌…。「恋人よ」「愛の讃歌」で美空ひばりを思わせる「女王」に徹した直後、「ヨイトマケの唄」では九州男児の熱い心を涙を浮かべながら歌い上げる。2年前には、ここまでのレンジの広さをまだ獲得していなかったように思う。氷川自身のMCによれば「演歌でデビューしているが、ロックもポップもアニソンも歌う。多重人格なんです。とにかく、がんじがらめにはなりたくない。自分はあくまで、表現者です」。感心するのは演歌でたっぷり効かせるコブシを、他のジャンルの曲では全く出さず、それぞれの様式を前面に押し出す音楽センスの確かさだ。
本編の締めは大ヒット曲「白雲の城」。天衣無縫といえる歌の頂点で輝く最高音は、スターテノールのアクート(張り上げた高音)にも匹敵する。しばらくの沈黙でたっぷりじらし、アンコールの3曲(勝負の花道・きよしのソーラン節・きよしのズンドコ節)で熱狂の頂点へと引っ張っていくエンターテイナーぶりに接しながら、私はもう1人のアーティストの姿を氷川に重ねていた。フレディ・マーキュリー。映画「ボヘミアン・ラプソディ」のヒットで再評価されたロックグループ、クイーンのヴォーカリストである。トランスジェンダー(性差の超越)やアンドロジナス(両性具有)のキャラクターを備えた人間の生きる環境は、フレディの時代と今とで大きく変わった。むしろ、両性具有による芸術的才能の発露を評価する傾向すらある。かつてLGBTがらみのスキャンダルを書き立てられたこともあった氷川だが、最近は吹っ切れたのか表情もさっぱりと明るく、ジェンダーを易々と超えたディーヴァぶりをステージでも堂々と発揮するので、より凄みを増したのではないだろうか。
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