樋口達哉は20世紀イタリアの大テノール歌手、マリオ・デル・モナコに憧れ、同じ道を目指したという。ミラノ・スカラ座合唱団に所属して本場の舞台を踏み、帰国後は瞬く間にスター歌手の仲間入りをした。役を徹底して究め、明快なイタリア語で語りかけ、ドラマティックに歌い上げる真摯な姿はいつの間にか「王子」と呼ばれるようになった。「いつの日かデル・モナコの当たり役、オペラ《道化師(パリアッチ)》(レオンカヴァッロ)の主役カニオの全曲舞台上演に挑みたい」との願いを知ったファン有志が「樋口のオペラ」実行委員会を組織、2019年に晴海・第一生命ホールのプレ公演で本格上演に向けての意気込みを示した。ところが2021年に予定した紀尾井ホールの本公演はコロナ禍で2022年1月に延期、これも出演者に陽性者が出たため直前に中止、6月1日の振替が「3度目の正直」として、ついに実現した。樋口や関係者の気持ちを思うと、本当に大変だったと思う。
演出の岩田達宗、指揮の佐藤正浩は2000年6月の新国立劇場小劇場オペラ・シリーズ第1作、「オルフェオとエウリディーチェ」(グルック)で正式にデビューして以来の盟友コンビ。その時に密着取材した縁で後年、新作オペラのチームを彼らと組んだことがある。樋口を最初に聴いたのも同じシリーズの第12作、2004年2月の「外套」(プッチーニ)のルイージ役だった。純度の高い美声と情熱的で精緻な演技を兼ね備え、やはり何年か後、私がキャスティングに関わった公演に出演していただいた。決して条件の良い仕事ではないのに誠心誠意、役作りに取り組み、周囲への気配りにも事欠かない仕事ぶりには頭が下がった。最近も東京二期会のプッチーニ「エドガール」セミステージ上演で、何とも性格描写に困る題名役に精一杯のリアリティを与え、ほとばしる熱情で歌い切ったのに感心したばかりだ。
カニオも長年かけての彫り込みが隅々まで施され、ヴェリズモ(真実主義)オペラが求めるドラマティックな歌唱の条件を満たしつつも決してがならず、言葉のニュアンス、演技のリアリティをきめ細かく究め「座長芝居」にふさわしい存在感を発揮した。対するネッダは、長くベルカント歌劇の第一人者に君臨してきた佐藤美枝子(ソプラノ)。立ち上がりこそ慎重に声のポジションを探り、アリア「鳥の歌」でも奔放さより自由へのしみじみとした思いに表現のポイントを置いていたが、後半の劇中劇では今まで聴いた覚えのないほど強じんで劇的な表現に転じ、ヴェテランならではのペース配分とチャレンジ精神が絶賛に値する。トニオの豊嶋祐壱(バリトン)、ペッペの高田正人(テノール)、シルヴィオの成田博之(バリトン)もそれぞれ十分に経験を積んだ名歌手にふさわしい成果を出した。成田のリーゼントで赤いジャンパー、ブルージーンズというヴィジュアルはおそらく、シルヴィオを場末の色男=田舎のプレスリー(©️吉幾三)として戯画化(カリカチュアライズ)した結果だろう。
岩田の演出は座席数800と小ぶりな紀尾井ホールを逆手にとり、客席と一体になった劇中劇の濃密な空間を現出させた。ザ・オペラバンド・アンサンブル(12人編成)と指揮者を舞台上手(客席から見て右側)に上げ、下手側4分の3くらいの空間に階段のついたブリッジを置き、上下2層を使い分けた。天井から道化師の人形を吊り、その影が壁面にも壁面にも投映されて二重三重も見えるなか、白の上下のスーツで伊達男プッチーニを気取ったようなリアルのカニオ(樋口)が上下左右に動く。孤児だったネッダを拾って役者に育て、妻にも迎えたカニオだが、決して社会の上層の出身ではなく、もしかしたらネッダと似た生い立ちの人間かもしれない、そこには同じような人生の結末しかないーーといったドッペルゲンガー性や輪廻転生の冷酷さ、儚さを想起させる優れた視覚だ。ネッダを殺したにもかかわらず幕切れで喝采が起きると、思わずカーテンコールに応えてしまうカニオ。現実と非現実が交錯しながら進む劇中劇オペラの真髄をつく処理が、深い余韻を残した。
吉村知子がコンサートマスターを務め、NHK交響楽団のメンバーも交えたアンサンブルは達者、辻博之が合唱指揮に当たった14人のザ・オペラバンド・シンガーズも歌、演技とも優れていた。佐藤の指揮は激情を奔流のように一貫させるヴェリズモ流儀に敢えて背を向け、カニオをはじめとする演じ手の心理変化、演出家が強調したいポイントなどを見据え、時に大胆なパウゼ(休止)も辞さないユニークなスタイルに徹した。音楽と演劇が同じレベルで拮抗するドイツ語圏のムジークテアーター風の「パリアッチ」ともいえるが、樋口や佐藤らがイタリア語の歌唱様式を正確に踏まえていたおかげで、違和感はまるで感じなかった。
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