2020年4月、愛知県芸術劇場が新設した芸術監督ポストに就いた勅使川原三郎の初仕事(演出・振付、美術、衣装、照明デザイン、音楽編集を担当)、新作ダンス《風の又三郎》の初演を2021年7月24日、同劇場大ホールで観た。東海圏の次代を担うダンサーの発掘、育成という明確な制作ヴィジョンを備え、昨年10月の一次募集オーディション、11月の二次募集オーディション&ワークショップ、今年2−6月の稽古、7月の3週間を費やした集中稽古、7月22日の舞台稽古、23日のゲネプロ(総稽古)を経て、24日から2日間の初演に臨んだ。原作はもちろん宮沢賢治で、夏休みの親子連れ鑑賞を前提にした「ファミリー・プログラム」に組み入れられた。パンフレットに載った勅使川原のメッセージを書き写す:
「以前から私は、宮沢賢治原作で誰が見ても面白い踊りの作品を作りたいと思っていました。バレエもダンスも踊りですね。宮沢賢治の詩や物語の中には数々のダンスが登場します。吹き飛ばされながら風に向かって走り、心がふるえる恐ろしさや静けさを取り戻し安心した後、生き生きと飛び跳ね、大きく強くそして細やかに、自然と人間たちが踊ります。新学期の初めの日に転校生の少年が、誰よりも早く教室に座っているところから物語は始まります。見知らぬ少年がはこんでくる風とともに、谷間の小さな小学校の子供たちの夏は終わります。風の少年が去り、新たな風がすでに吹いている」
賢治が書き残した未完成の作品の数々を「互いに影響し合い、次から次へと連なっていて、まるで音と音が共鳴する大きな交響曲を作っているような」感覚でとらえ、「《風の又三郎》を、期待すべき、子供たちの新たな成長を促す詩的な物語として読んだ」という勅使川原。「私にとって、ダンスもそのように何か新たな期待をこめて作り、踊るものでありたいと思っています」と、創作メモに記している。1980ー1990年台のドイツで頭角を表して以来の尖った表現主義の牙を残しつつも、子ども向けのアクセサビリティーを踏まえ、群舞の律動感を際立たせたダンスだけで伝える部分、賢治の原作を朗読して言葉のニュアンスを動きに変換する部分、音楽や効果音に合わせて踊る部分など、難易度を変えた複数の伝達手段を巧みに組み合わせている。下校シーンでドヴォルザーク「交響曲第9番《新世界より》」の第2楽章、「家路」をそのまま使うベタな処理も「わかり易さ」に徹した結果だろう。それが陳腐に陥らないのは「次から次へと連なり、音と音とが共鳴する交響曲」の構成が勅使川原の脳内にできているからであり、背景の抽象画像と色彩、照明を刻々変化させる時間感覚の管理の確かさも支えになっている。賢治のクラシック音楽好きへのオマージュという隠し味の側面も、きっちり仕込んでいた。東京・荻窪で勅使川原自身が営む小空間で鍛えたワンオペレーションの強みは、オペラハウスの大舞台でもいかんなく発揮された。
ダンサー(全員女性)はアーティスティック・コラボレーターとナレーションを兼ねる佐東利穂子以外、11人すべてがオーディションで選ばれた。コロナ禍の下での様々な困難を克服しつつ、ほぼ半年間の厳格な制作スケジュールをこなしてきたチームだけにアンサンブルには隙がない。教師や少年、群衆などのキャラクターの描き分けも確かだ。宮沢賢治が大正から昭和初期の岩手県で架空の理想郷「イーハトーブ」を思い、描いたヴァーチャル・リアリティ(VR=仮想現実)の世界が幻想的ダンスのメディアを介し、新たな生命の輝きを得た瞬間に立ち会った。残念なのはコロナ禍や猛暑を反映した客入りの悪さだったが、観客の反応はかなり熱く好意的で拍手が延々と続いた。「コンテンポラリー・ダンスの新作をファミリー・プログラムに」との企画自体が非常に挑戦的なので再演を重ね、ダンサー発掘ともども時間をかけ、愛知県芸術劇場の財産に育ててほしいと思う。ダンス先進国のフィンランドでは子ども向けに特化した創作ダンスのチームも存在し、かなりの成果を上げている。
Comments