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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

「若さ爆発」以上の輝きが。松本宗利音


2021年2月25日のサントリーホール、読売日本交響楽団第639回名曲シリーズはセンセーションだった。指揮者ケレム・ハサン、ヴァイオリン独奏者マルク・ブシュコフの2人ともコロナ禍で来日がかなわず、1993年生まれの指揮者の松本宗利音(まつもと・しゅうりひと)、1997年生まれのヴァイオリニストの辻彩奈が当初予定の曲目をそのまま演奏した。札幌交響楽団で「指揮者」のポストを持つ27歳の松本は、今回が読響デビューに当たる。ドイツの大指揮者カール・シューリヒト(1880ー1967)にちなむファースト・ネームは、音楽ファンの両親がシューリヒト最後の夫人の許可を得て授けた。2年前に当時98歳の元ウィーン・フィル・コンサートマスター、ワルター・バリリに会ってこの話をすると、「シューリヒトなら辛うじて日本人の名前みたいに聞こえるね。フルトヴェングラーとかでなくてよかったよ」と、大笑いされた。一度聞いたら忘れられない名前、というのは得だと思う。


ウェーバー「歌劇《オベロン》序曲」とチャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」の前半、ブラームス「交響曲第2番」の後半は名曲プログラムの典型だが、松本にとっては、プロのオーケストラで初めて振る作品ばかりだったという。同じ作曲家の《魔弾の射手》と違い、オペラ自体の上演が稀な《オベロン》序曲でキャラクターを明確に描くこと自体、至難の業のはずだ。松本はデビューの緊張も手伝ってコチコチ感ミエミエだったにもかかわらず、しなやかな長身を駆使して右手でリズムを際立たせ、左手で巧みにフレーズを動かす手際を早くも印象づけることができた。辻が独奏するチャイコフスキーは良い意味でジェンダー(性差)を感じさせ、おっとりした佇まいの端々に現れる小粋な歌い回しが魅力的だ。技巧面に多少の瑕瑾があり、第1楽章終結部などで大管弦楽と渡り合う場面での音量も不足するが、第2楽章でみせた深い歌心、管のソロとの室内楽的コレスポンデンスは素晴らしかった。


ブラームスの交響曲では過剰な緊張もほぐれて松本の若さが爆発、現時点の魅力を最大限に発揮すると同時に、今後の課題もはっきりと示した。美点は柔らかな音色、人間の息遣いを思わせる「ふとした弱音」(スビトピアノよりもマイルドな感じ)、伸縮自在のフレージング、切り立ったリズムなど。一時代前の〝量産型〟日本人指揮者が特定の効率的メソードにこだわるあまり、スコアの「縦の線」を悲しいまでに合わせて和音を〝輪切り〟、横方向の時間感覚を犠牲にしていたのとは対照的に「流れる音楽」は、今のところ諸刃の剣かもしれない。締めるべきところは締めないと、せっかくの和声感を生かしきれないからだ。読響は全力投球の献身で若い指揮者の晴れ舞台を支えたが、1週間の短いスパンに東京二期会のワーグナー「歌劇《タンホイザー》」全曲をゲネプロ2回、本番4回の強行スケジュール(欧米の歌劇場なら中3−4日の間隔を置き、前半後半で管楽器が交代するのが普通)で演奏した蓄積疲労からか、いつもなら起きないような事故が時折あって、ちょっと残念だった。

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