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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

「最後の鈴木」N響デビュー〜秀美指揮のJ S&CPE・バッハとハイドン鮮やか


2021年9月、ABC3シリーズの定期演奏会を1年8か月ぶりに再開したNHK交響楽団。Bシリーズ第1937回定期演奏会の初日を15日、サントリーホールで聴いた。指揮はコロナ禍で来日できなくなったトン・コープマンに代わり、鈴木秀美がN響と初共演を果たした。最初のJ・S・バッハ「管弦楽組曲第3番」、後半のハイドン「交響曲第98番」はそのまま。中間のC・P・E・バッハ(J・Sの息子)は、やはり来日を見送ったニコラ・アルトシュテット独奏の「チェロ協奏曲」を鈴木が〝弾き振り〟かと思いきや、指揮に専念して「シンフォニア」の変ロ長調、ニ長調の2曲(合わせて25分弱)に差し替えた。わずか1年の間に兄の鈴木雅明、甥(雅明の息子)の優人、そして秀美の鈴木ファミリー全員がN響に現れた。


コープマンが初めて日本のモダン(現代仕様)楽器オーケストラ、大阪センチュリー交響楽団(現・日本センチュリー交響楽団)に客演したときリハーサルを見学してインタビュー、本番も取材した際の記憶は今も鮮明だ。ピリオド(作曲当時の仕様の)楽器の大家との初顔合わせに際し、センチュリー響は対抗配置だけでなく、ノン・ヴィブラート奏法で身構えていた。するとコープマンが「配置はともかく、奏法は皆さんが普段ザ・シンフォニーホールの定期演奏会で弾くスタイルを基本にしてください。私はアーティキュレーションやフレージングを整えます」と言い放った。これに対し、今夜の鈴木秀美(以下、混同を避けるために「秀美」と記します)は全曲にチェンバロ(上尾直毅)を入れ、ホルンはナチュラル、ティンパニは古典モデル…とかなりピリオド寄り。対向配置の弦は第1ヴァイオリン10人、第2ヴァイオリン8人、ヴィオラ6人、チェロ4人、コントラバス3人とかなりスリムだ。


で、大バッハの組曲には「あれっ?」と首を傾げた。初共演の「ハラの探り合い」なのか、あまりに正攻法のポーカーフェイスに戸惑った。それはC・P・Eが始まった途端、「してやられた!」の感心に変わる。シュトルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)の時代精神を反映したC・P・Eの感情過多様式(Empfindsamer Stil=エンプフィンドザマー・シュティル)の目まぐるしくドラマティックな表現をN響から引き出し、親子といえども激変した様式の対比を見事に描いてみせた。J・Sが1731年ころ、C・P・Eが1773ー1776年、さらに後半のハイドンが1792年と全曲が18世紀の60年あまりの間に書かれたにもかかわらず、恐ろしいほどの勢いで展開した音楽史のパノラマ。シンフォニアから交響曲までの跳躍を味わう。


コンサートマスターを鈴木ファミリーと親しい白井圭が務めたのも、「秀美スタイル」とN響の〝通訳〟には理想的だった。雅明&優人父子とも異なる秀美の方法論は最後のハイドンで、最大の成果を上げた。ピリオドの柔軟性や俊敏さを十分に確保しながらドイツ=オーストリア音楽の蓄積が豊富なN響のアイデンティティーも生かして重心低く、仄暗い音色で円熟期のハイドンを再現した。結果として「相手の持ち味を生かす」着地点でもコープマンと方法論の根幹を共有、日本各地の交響楽団を客演してきたノウハウが実を結んだ。管楽器の名人芸はもちろん、白井や首席チェロ辻本玲ら弦のソロも光り、標題がないだけで演奏頻度が低い傑作の真価を明らかにした。とりわけ第4楽章の絶妙の間合い、ユーモアは今日、なかなか聴けない類のものだ。出張の日程が変わり、聴けないはずの演奏会を聴けた幸せ!

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