• 池田卓夫 Takuo Ikeda

「夜想曲」はショパンの真情に最も寄り添った作品〜クンウー・パイクに聞く

更新日:7月6日


いつ取材しても温厚、穏やかな風情

1946年ソウル生まれの巨匠ピアニスト、クンウー・パイク(白建宇=백건우、ペク・コヌ)が5年ぶりに来日。2021年7月13日、東京・銀座の王子ホールで開くリサイタルに向けての待機期間をとらえ、オンラインのインタビューを行った。1年のうち「11か月をパリ、1か月を韓国」で過ごすという、コスモポリタンのアーティストである。

ーー昨年はパイクさんの重要なレパートリー、ベートーヴェンの生誕250周年でしたが、世界は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に振り回され続けました。どう、過ごされましたか?

「ベートーヴェンの《ピアノ・ソナタ》32曲の録音は2007年に完成しましたが、実際の全曲演奏は過去に韓国で2回と台湾、中国で1回ずつ行っただけで、ヨーロッパはまだです。COVID-19のおかげで多くのコンサートが中止され、オーケストラやフリーランス演奏家が厳しい事態に直面したのは恐ろしい話でした。私もヴァイオリニストとのデュオ、ブダペストでのバルトークの協奏曲などの演奏会をキャンセルせざるを得ませんでしたが、パリの自宅でドビュシーの《ピアノと管弦楽のための幻想曲》やグラナドスの《ゴイェスカス》など、新しい作品をいくつか集中的に学ぶことができました。ドビュッシーはバルトークの《ピアノ協奏曲第3番》と組み合わせ、すでに韓国で演奏しました。《ゴイェスカス》も、できれば録音したいと考えています」

ーー1960年代初頭のニューヨークのジュリアード音楽院、ロジーナ・レヴィーン先生のクラスで一緒に学び後に指揮者として大成したジェイムズ・レヴァインさんが亡くなりました。同じく学友の中村紘子さんも亡くなって5年になります。だんだん寂しくなりますが、どういう時代でしたか?

「迂闊にも、レヴァインが亡くなったのを知りませんでした。紘子さんもまだ若かったのに、残念です。あの時代のニューヨークは音楽的にベストタイム、ゴールデンエイジでした。ジュリアードの先生は皆、演奏家としても素晴らしかったし、世界のアーティストがニューヨークに来てカーネギーホール、リンカーンセンターはもちろん、無数ともいえる演奏会場で数多くの公演を行っていました。登場回数は少なくても大きなインスピレーションを与えたヴラディーミル・ホロヴィッツ、頻繁に現れたアルトゥール・ルービンシュタイン、そして私に多大な影響を与えたルドルフ・ゼルキン…と、様式を異にする大ピアニストも揃っていました ゼルキンは極めて古典的であり、特にベートーヴェンはソナタのリサイタル、5曲の協奏曲にかなりの頻度で接しました」

ーージュリアードの後はもう、音楽学校に行かなかったのですね。

「当時の私にとって重要だったのは、〝Cut OFF(カット・オフ)〟です。偉大な先生たちから授けられた古い時代の伝統をいったん断ち切り、1から自分の音楽を始める時機が訪れたと判断しました。そのためにニューヨークを去ってピアニストのキャリアを歩み出し、自分の力で真に音楽の中へ入り、本質へより近づこうと決めました。だから、ヨーロッパには『先生』と呼べるピアニストがいないのです。音楽を学ぶ機会は、学校以外にもあります。ニューヨーク時代、韓国で観ることができなかったロシア映画と〝恋〟におち、多くの優れた監督の存在を知ったことは、私のロシア音楽への関心を確実に高め、『アジア人のロシア音楽好き』に拍車をかけました」

ーー今回の東京では、ベートーヴェンでもロシア音楽でもなくショパン、それも《夜想曲(ノクターン)》から選んだ12曲だけを弾かれます。

「ベートーヴェンの記念年を終え、自宅の書棚から様々な楽曲のスコアを取り出しては次の想を練るうち、ショパンを〝再発見〟しました。ベートーヴェンを究めた目でショパン、とりわけ《ノクターン》の楽譜を読むと以前とは異なるものが数多く見え、より面白い演奏ができるように思えてきたのです。さらに、ショパンの真情には大規模な協奏曲やソナタではなく、《ノクターン》や《マズルカ》といった小品集こそが寄り添っているのではないかと、再発見しました。王子ホールのように小ぶりの演奏会場は、ショパンの《ノクターン》に最適だと確信しています」

ーー楽器は現代のスタインウェイですね。

「ショパンの時代のフランスのピアノ、プレイエルは確かに美しい楽器で、一定の音色を引き出すことができますが、私は現代のスタインウェイに余りにも慣れており、こちらでベストのコントロールを目指します。ただ、ピリオド(作曲当時の)楽器を否定するつもりは全くなく、モーツァルトやシューベルトでは、より大きな効果を上げられると感じています」

ーーかつて、韓国や日本などアジア人の演奏家には「正確なだけで個性がない」「本場の演奏とは違う」といった偏見がつきまといました。現在は水準が大きく上がり、様々な文化圏の音楽遺産と自由自在に向き合える柔軟性が強みへと変化した気もするのですが、どう思われますか?

「アジア人が西洋音楽を本格的に学び出した当時、何らかのコンプレックスが存在したのは事実です。今や西洋音楽はアジアの音楽文化・教育の重要な一部を占め、あなたの指摘する通り〝選択の自由〟、何でも弾ける強みも発揮しています。フランス人がドイツ音楽を理解する際も、ドイツ語やドイツ音楽の語法を学ばなければならないわけですから、もはや違いなど存在しません。それに最近の若いアジア人、シャイでも臆病でもなく自由なので、問題はまるでなくなりました。日本の聴衆が音楽に注ぐ愛情、情熱は、ヨーロッパと比べてもずうっと確かなものです」


[バイオグラフィー]

1946年5月10日、ソウル生まれ。弱冠10歳で韓国国立オーケストラとの共演でデビュー。15歳でニューヨークに渡り、ジュリアード音楽院にてロジナ・レヴィーンに師事。さらにイローナ・カボス、グイド・アゴスティ、ヴィルヘルム・ケンプのもとでも研鑽を積んだ。1969年ブゾーニ国際ピアノ・コンクールで金賞、71年ナウムバーグ国際コンクールで優勝。ニューヨークのリンカーン・センターでリサイタル、カーネギー・ホールでオーケストラ・デビューを果たし、国際的な演奏活動を開始した。 これまでに指揮者ではロリン・マゼール、マリス・ヤンソンス、ウォルフガング・サヴァリッシュ、ドミトリ・キタエンコ、エリアフ・インバル、ユーリ・テミルカーノフ、アントニー・ヴィット、オーケストラではニューヨーク・フィル、サンクト・ペテルブルク・フィル、ロンドン響、BBC響、パリ管、ベルリン響、ワルシャワ・ フィル、イギリス室内管等と共演。また、韓国や中国でベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏会を4度行い、とりわけ2020年12月に台湾の台中国家歌劇院において連続8日間で行ったベートーヴェン・サイクルでは、さらに円熟し、高みを極めた演奏で聴衆を熱狂させた。録音も数多く、「プロコフィエフ:ピアノ協奏曲全曲」は93年に年間最優秀ディアパゾン金賞およびフランスのヌーヴェル・アカデミー・ドゥ・ディスク賞を受賞。その後デッカ・レーベルの専属アーティストとして、バッハ/ブゾーニとフォーレのピアノ作品を録音し、いずれも高い評価を得た。05年~07年に渡り、デッカ・レーベルに録音したベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲の演奏は「パイクのドラマを組み立てていくセンス、ウィット、絶妙なニュアンス、考え抜かれた和音のコントロール、敏速な指が織り成す超絶技巧・・・その全てが素晴らしい」 (インディペンデント紙)等と絶賛された。最近ではドイツ・グラモフォン・レーベルでショパンのノクターン全集(19年)、シューマン作品集(20年)を発表している。現在、パリ在住。93年から14年までフランス・ディナールのエメラルド・コースト音楽祭の芸術監督を務める。00年フランス政府より芸術文化勲章シュヴァリエ章を受章。


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