top of page
  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

「ショパンの国から来た」だけではすまされない辛さ、ニェムチュクの奮闘努力


かねて親しくさせていただいているピアニスト、高橋洋子さんが日本に招いたポーランドの若手グジェゴシュ・ニェムチュクの「日本・ポーランド国交100周年記念リサイタル」を2019年3月16日、ヤマハホールで聴いた。すべてショパンの作品。前半に「幻想ポロネーズ」「ワルツ作品64の1と2」「ソナタ第2番《葬送》」、後半に「2つのノクターン作品62」「マズルカ作品59」「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」と、名曲中の名曲ばかりを弾いた。


ポーランド出身のピアニスト、ほぼ全員が「母国を同じくする」理由だけで、ショパンを弾くことを義務?づけられる。ショパンの父はワルシャワに居ついたフランス人、自身も20歳で国を出てウィーン経由でパリに落ち着き、後半生を過ごし、そこで早すぎる死を迎えたので、実際にはコスモポリタンだろう。もちろんポーランドを思う気持ちは強く、民族的な舞曲や民謡を題材に作曲する機会は多かったが、今や色々な国籍のピアニストがそれぞれのアプローチでショパンを究めていて、作品全体が世界遺産といえる。「ショパンの国から来たピアニスト」へのプレッシャーは作曲家の死後、高まり続けているのだから、たまらない。ニェムチュクも前半、響きのたっぷりしたヤマハホールでの打鍵コントロールに苦吟したのか、テンポを失い、リズムが死んでいた。特に「葬送」ソナタを攻めあぐねている様子で、最強音が濁りがちだった。高橋さんも休憩中、「何とかしなければ。後半はリラックスして弾けるよう、ちょっと知恵を授けてみる」と話していた。


彼女の助言が効いたのか、後半は一転、音の美しさと柔らかさを取り戻し、繊細な感性が息の長い歌につながり、リズムの生気が蘇った。三位一体に書かれた作品59の「マズルカ」の解釈の深さで、ようやくニェムチュクの真価が明らかとなり、「華麗なる大ポロネーズ」で最強音の輝かしさも証明した。アンコールの「練習曲作品10の1」では華やかさ、「ノクターン第1番」では多彩な音色美をそれぞれ立証、「終わりよければすべてよし」となった。考えてみればピアノ・リサイタルって、ピアニストたった1人で舞台に出て、何から何まで責任を負わなければならないのだから、精神的にすごくきつい仕事に違いない。今は亡き日本の巨匠、園田高弘は私に何度か「僕は子どものころから、この孤独にたえてピアニストをやってきたんだよ」と話していた。ニェムチュクの精神力に、拍手を送ろうと思う。


しばらくして、本人からの説明が届いた。「到着直後の昼公演で前半、時差にやられてしまいました。しかも響き過ぎるホール。おっしゃる通りでした」。大丈夫、この人柄なら。


閲覧数:380回0件のコメント

Kommentarer


bottom of page