• 池田卓夫 Takuo Ikeda

「ああスッキリした。余は満足じゃ!」に尽きるメーリ(テノール)リサイタル


2021年2月13日、東京文化会館小ホール。同館主催「プラチナ・シリーズ」の枠で行われたフランチェスコ・メーリのテノール・リサイタル(ピアノは浅野菜生子)は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)と向き合う日々が長期化、心身とも疲弊する人々に燦々とイタリアの太陽をふり注ぎ、生への希望を強く授けてくれた。新国立劇場の「トスカ」(プッチーニ)再演でカヴァラドッシを演じた後も日本にとどまり、福島県白河市を皮切りとするリサイタル・ツアーの最終日。同日の夜、イタリアへいったん帰国するという。午後3時開演で前半に歌曲、後半にオペラアリア、さらに弾き歌いも交えたアンコールを10曲も歌い、終わったのは5時30分。客席は総立ちで、「Bravoタオル」があちこちに掲げられた。


最初のロッシーニ「《音楽の夜会》より《約束》」を歌いだした途端、カタカナ首っ引きではないネイティヴなイタリア語発音の美しさに耳も心も洗われた。続いてドニゼッティ、ベッリーニとベルカント〝御三家〟の歌曲を丁寧に1曲ずつ歌い、盟友ルイージ・マイオに委嘱した新作「《アルケミケランジョレスカ》〜ミケランジェロの火、風、地、水の詩によせて〜」(4曲からなる連作)の世界初演でイタリアに脈々と流れる「知の芸術」の水脈の今を鮮やかに描く。多くのオペラの名歌手がリサイタルに臨むとき、肩慣らしみたいに軽く歌われがちなトスティだが、メーリは前半の半ば過ぎ、すっかり喉が温まり全身の共鳴も整ったタイミングで一気に5曲、深い解釈と洗練された様式感で歌い切った。とりわけ「君なんかもう愛していない」の練り上げられた表現に驚き、思わず「うまい!」と声を漏らした。


後半は先ず、ピアノの浅野がマスネの「歌劇《マノン》」の名旋律のポプリ(接続曲)を弾き、そのままメーリのアリアに入った。イタリア人ピアニストが来日できず、急な代役だったにもかかわらず、長く東京プロムジカが招聘していた世界の名歌手の伴奏を手がけて歌のピアノを知り尽くし、イタリア語にもたけた浅野がリサイタルツアーすべてに同行したことは、メーリにとって不幸中の幸い以上だったはずだ。前半では歌曲の繊細な和声感、後半ではオペラの情景を巧みに表し、歌を一段と輝かせた。唯一のフランス語アリアが終わると、メーリは「ここからは母国語だよ」と言わんばかりに自ら譜面台をピアノの後ろに運び、イタリア歌劇のアリア3曲を暗譜で歌った。最後、カヴァラドッシのアリア「星は光りぬ」は1月28日の全曲上演で観た際より明らかにコンディションが良く、細かく声色を変化させる歌い方も「これがメーリ流」と納得させる説得力があった。もう少し舞台の本番を重ねると、旧世代とはひと味違う表現として続く世代の手本にもなるだろう。そう、風貌からもっと年配と勝手に考えていたが、今日の公演プログラムを見て初めてメーリが「1980年生まれ」と知って驚き、今後さらなる伸びしろを抱えた中堅世代の働き盛りなのだと理解した。


ロッシーニで頭角を現したのがわかる甘く軽やかなベルカントの声質に少しずつ重みを加え、カヴァラドッシやラダメスまでレパートリーを広げてきた40歳。現時点ではリリコを少し越え、リリコ・スピントの一歩手前くらいの重量かと思われる。全身がきちんと楽器として共鳴しているので肉体への負担が適度なればこそ、アンコールを10曲歌っても、声はヘタレない。興味深かったのはアンコールの中のアリア4曲。カヴァラドッシの「妙なる調和」がベストフォームだったのは当然として、ドニゼッティ「《愛の妙薬》から《人知れぬ涙》」とヴェルディ「《ラ・トラヴィアータ(椿姫)》から《燃える心》」の2曲はより声が軽かった時期に多く歌ったアリアのはず。メーリは当時の様式感を崩さないまま、今のしっかりした声で歌うのでネモリーノ、アルフレードの〝男前〟が数ランク上がったような面白さがあった。またレハールのオペレッタ「《微笑みの国》から《君は我が心のすべて》」はドイツ語ではなくイタリア語で歌われ、出だしの「Du(ドゥー)」が「Tu(トゥー)」と響いた瞬間、ズッコケそうになった。イタリア語訳はパヴァロッティの録音で聴いた記憶があるけど、ライヴで接したのは初めて。焦ったのは最初だけで、音楽は素晴らしかった。


コロナ禍で外国演奏家の来演がかなわなかった間、私たちは過去何年かで一段と水準を切り上げた日本人演奏家や国内オーケストラで日々のコンサート&オペラ通いをつないできた。だが昨日のイザベル・ファウスト(ヴァイオリン)、今日のメーリの表現に接すると優劣、ましてや良し悪しなどとは全く異なるゾーンでの感覚、美意識、表現手法の違いに思いが至らざるを得ない。ちょうど、いくら和食が好きだからといって毎日続けていれば、時にイタリアンやフレンチ、中華などを無性に食べたくなるのと同じ。今日は極上のイタリアンのフルコースを堪能したかのような満足感に浸り、レビューなんて、本当は「良かった」の4文字で済むのに長々と書いてしまい、ごめんなさい!

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